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『ROCK´N´ROLL ROCKET 2』 |
“ピンクドラゴン”はロックン・ロール・スピリッツを売るお店で、オーナーである山崎さんが35年前に始めたロックン・ロール・ビジネスの現在形だ。リーゼントに刺青、どくろマークにラバーソール、1950年代にアメリカで始まった不良スタイルをより過激に、よりポップにして日本はもとより世界中にばらまき続ける、日本以上に海外でその名を知られるストリート・ブランドだ。 ぼくも十代の頃そのセンスとスピリッツにガツンとやられ、リーゼントにラバーソールで当時のお店『ガレッジ・パラダイス』で買い物をしたものだった。今でこそ違うファッションスタイルをしているけれど、スピリッツは今だ当時と何も変わっていない。山崎さんの影響を受けて大人になった、世界中に数多くいる山崎さんの子供のひとりだと思っている。 もはや伝説でもある矢沢永吉のバンド『CAROL』に初めてギャラを払って演奏させたのも、当時山崎さんが新宿でやっていたロック・バー『怪人20面相』だったし、80年代に日本中で大ブームをおこした50´sブームの中心にいたのも原宿にあった山崎さんのお店『クリーム・ソーダ』と『ガレッジ・パラダイス』だ。今でも“KING OF R&R”の殿堂としてピンクドラゴンには毎日のように世界中からお客さんが集まってくる。
そんな山崎さん=ピンクドラゴンの輝ける歴史をあげればきりがないが、ぼくがもっともストリートの先輩として尊敬している点は、あんなに恐そうなのに決して悪ぶらないところと、今でも現役であり続けていることだ。 デザインのモチーフは龍やどくろ、車やバイクとどれもワルのにおいがするものばかり。色も黒ばっかりだしめちゃくちゃいかつい雰囲気がある。にもかかわらずどれもかわいらしく、愛に満ちたデザインだ。決して暴力を助長するものではなく、かといってやわじゃない。本当にストリートで生きているからこその仕事だろう。ピンクドラゴンにはワルのイメージがあると同時に、純粋で、ハッピーで、またせつなく、ロマンチックで、友情に厚いという、まさにぼくたちが暮らすストリートの生活、ストリートの人生観がはっきりと、単純明快に表されている。ぼくにとっては唯一、本物の日本発のストリート・ブランドだといえる存在だ。
またぼくたちストリートのみんなの夢をいち早く実現させた大先輩である。自分が選んだ道を迷わず進み、世界中に名を売り、服屋でありながら自分達のバンドをデビューをさせ、アメリカツアーまで成功してしまった。CDを発売し、映画を作り、DVDも発売する。雑誌や書籍も作り、誰にもこびを売らない。そして自社ビルまで持ってしまった。ピンクドラゴンで大人になったキッズが親となり、その子供が親を連れて店に買い物に来る。これこそぼくたちの理想じゃないか? “ストリート”を売り物にするファッション誌は数多いが、ピンクドラゴンが取り上げられる機会は決して多くない。そんな雑誌の重要なキーワードは、実はストリートよりも“流行”なのだろう。冗談じゃない。流行こそうつろいやすく、一瞬にして古くなるものだ。ピンクドラゴンの根底にある“ロックン・ロール”の精神は常に変わらず、そして今現在でもそこにある。 変わらない価値こそ常に新しく、永遠だ。現に海外では今もなおピンクドラゴンは熱狂的に迎え入れられている。ピンクドラゴンはぼくたちの何十年分も先にある、まぎれもない現実のストリートに輝く未来なんだ。
内田裕也さんに会ってお話を聞く機会が以前にあった。その時に裕也さんはこういった。 「ミック・ジャガーはスゴい。60年代からあんな年になってもロックし続けている。ミックもすごいけど、おれはもっとすごい。なぜならミックのようなヒット曲がないにも関わらず、芸能界で悪口ばかりいわれてるのにも関わらず、同じころからずっとロックし続けてるからな。やり続けることはツラい。でもやり続ければそれはそのうち快感に変わるんだよ」。 35年間ロックン・ロールをやり続けている山崎さんもまた、続けていくことに快感を覚えているのだろうか?ぼくはまだ続けることに快感なんて感じられずにいる。快感どころか不安といら立ちでいっぱいいっぱいだ。それでも続けているのは、わずかながらでもぼくについてきてくれる人たちがいることと、山崎さんが今もなお現役で挑戦し続けるのを間近で見ていられるからだ。 | ||||
ピンクドラゴンのフリーペーパー | |||||
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