CHAPTER.3

日の丸に“神護”という文字を重ねた

どうすれば有効に懲らしめられるか考えている内に、とうとうある方法が思いついた。 それは非常につらく、ぼくにとってはとても勇気が必要な決断だった。なぜなら、もっとも有効な解決策は“許すこと”だと思いたったからだ。

許そう。あのアメリカ人を許そう。あいつを育てたアメリカも許そう。 日本人にとっては野蛮で残酷に思える行為も、彼らアメリカ人にとってはごく普通の感情から生まれたものなのだ。強いアメリカに誇りを持ち、そんなアメリカを築いてきた歴史に誇りを持つ。それがアメリカ人だ。ならばおろかなアメリカ人を今は許そう。そして自分が日本人として強く、誇りを持って生きていけばいい。微力ではあるかも知れないが、それが唯一の希望ではないか?

 

深夜、ぼくはアメリカ人への“恐怖と憎しみ”に対して“勇気と哀れみ”という武器で闘う決意をした。そしてその決意を胸にTシャツのデザインに取りかかった。日本人の誇りを持って日の丸の赤い玉を置き、その上に漢字で“神護”という文字を重ねた。“神護”なんて言葉は辞書にのっていなかったが、そんなことはかまわない。なによりもぼくの強い願いが込められている。

神さまはこの世で起きるいいことも悪いことも全て見ているはずだ。アメリカ人のおろかな行為も、日本人のみじめな思いも、全部見守っているはずだ。全ての不幸な心に幸あれ。全てのおろかな心に救いあれ。

 

それがぼくにとって心の中の握りこぶしだった。

デザインができ上がったころには朝になっていた。  何気なくテレビのスイッチを入れると、早朝の放送らしく、番組は地方の放送局からの中継だった。そこでぼくは再び自分の目を疑い、と同時に希望を持って強く生きていこうとあらためて決心することになる。

レポーターがいった。『今朝は京都にあるジンゴジに来ています』。

そしてテレビ画面は緑深い山奥の寺院を映し出し、小さな字幕スーパーが“京都・神護寺”とその場所を知らせていた。

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